6月8日、日本が議長国を務める20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が福岡市で開幕しました。

 6月9日には、主要議題の一つであるデジタル経済に対応する新たな国際法人課税のルール作りについて協議が行われました。企業が節税に利用する税制上の抜け穴をふさぐための共通のルール策定について、2020年中の合意に向けて努力することを確認したとされています。

 新ルールづくりは、米国のGAFA(グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック、アップル)など巨大IT企業や米スターバックスなどグローバルに事業展開する多国籍企業に対し、「税負担が軽すぎる」との批判が国際的に広がったことから始まったものです。

 これまでの国際課税ルールでは、原則、工場や支店などの物理的な拠点ごとの利益をもとに課税額を算定するとされています。そこでIT大手などでは拠点なしにネットを通じて世界中にサービスを提供し、利益を生み出す知的財産や顧客データを低税率国に置いて税負担を軽減してきたということです。

 例えば全世界に15億人超の利用者を抱えるフェイスブックの場合は、欧州に2.8億人、北米に1.8億人、アジア太平洋地域では5.7億人の利用者がいる。従来は低税率国のアイルランドに主に利益や納税を集中させてきました。

 そこで、G20の議論は、税の共通ルールとして、企業が低税率国やオフショア租税回避地で利益を計上した場合でも、各国が合意した国際的な最低税率を適用できるという内容となっているということです。

 経済のグローバル化やサービス化が進み、企業の利益構造や自身の形態も大きく様変わりする中で、企業や個人の所得を補足することが次第に困難になってきているばかりでなく、(これまで手が付けられてこなかった)課税権を巡る議論がようやく始まったということでしょう。

 そうした中、6月7日の日経新聞のコラム「大機小機」では「税金が取れない世界」と題する一文を掲げ、変化する課税環境と政策の財源確保の問題を取り上げています。

 人工知能(AI)の発達は経済社会の様々な分野に計り知れない影響を及ぼすが、税の世界でも「税金が取れなくなる」という大きな課題を抱えていると記事は指摘しています。

 まず、やって来るのは大格差社会だと記事はしています。多くの労働者の賃金は下がり、一部の高所得者に富が集中する。AIを操る高所得者はタックスローヤーなどを使って軽税率国やタックスヘイブン(租税回避地)に所得や富を移転させ、場合によっては自ら居住地を移してしまうということです。

 一方、頼みの中間層は薄くなり低所得者から税金はとれなくなるというのが、今後の課税環境に関する記事の認識です。日米とも人手不足でも賃金が上昇しない原因の一つはAIによる労働代替が挙げられる。一方で、米企業の最高経営責任者(CEO)の報酬は一般従業員の361倍に達しているという現実もあるということです。

 さらに、(先程のG20における議論にもあるように)ビッグデータを集積し、アルゴリズムを使い、独自の事業モデルを無形資産化して、タックスヘイブンに富を蓄える巨大プラットフォーマーの存在も無視できないようになってきました。

 デジタル経済のもとでGAFAに税負担を求める議論が国際的に進められているが、たとえ合意できても、国際的なプラットフォーマーがユーザー居住国(消費国)に支払う税金はほんの一部だろうというのが記事の見解です。

 加えて、「ポイント制」や「物々交換アプリ」など、そもそも金銭価値で評価できない世界が(ネット環境の発達とともに)拡大している現実を記事は挙げています。

 「スイス人が米国人に1時間料理を教える代わりに、米国人がスイス人に英語を1時間教える」というマッチングサービスが世界で広がる。このビジネスモデルではスキルとスキルを交換するので、金銭価値が入り込む隙間がない。こうした場合、誰が、何を基準にどうやって課税したらよいのか…というような問題です。

 そこまで課税しなくてもいい、との意見もあるだろうが、所得格差が拡大すれば社会保障も(それに合わせて)充実させざるを得ないと記事は指摘しています。

 所得や資産、勤労にかかわらず無条件でお金を配るベーシックインカムの社会実験が行われているが、そのネックとなるのは常に財源問題であることに異論はないと思います。また人間がAIに職を奪われないようにするには教育を根本から見直し人間力を高める必要がある。そして、そこでも財源が必要となると記事は説明しています。

 所得が十分に補足できないのであれば消費に課税するしかないとして各国は間接税への傾斜を強めており、日本における消費税増税もその流れに沿ったものと言えるかもしれません。しかし、消費税の増税にも限界があり、その逆進性を指摘する向きが多いのも事実です。

 AIがもたらす社会はユートピア(理想郷)か、ディストピア(反理想郷)か。ユートピア派は「AIは使いこなせばいい」というが、そのためには個人にはAIに打ち勝つ知力と教養が、国家には財源が必要となると記事は指摘しています。

 社会の大きな変化から生まれた歪みや、取り残された人々の痛みを最小限に食い止めていくためには、それなりの対策が必要となることでしょう。

 そうした意味から、国家はいかなる場合にも財源を確保していく使命があることを忘れてはならないと結ばれた今回の記事の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。

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