株高の背後で不均衡拡大、逆ワッセナー合意の出番

竹中正治龍谷大学経済学部教授

日本の株価は11月9日に高値を付けた後、やや調整局面入りした感もあるが、1996年以来の高値圏にある。実体経済も雇用増と人手不足が顕著で、昨年来の海外景気の持ち直しを受けて輸出の伸びが順風となり、今年から来年にかけて実質国内総生産(GDP)で年率平均1.5%前後の成長が持続するのではないかと思う。

しかし、それでも賃金の伸び率が鈍いことが消費と物価の基調に濃い影を落としている。おそらく2018年を通じても消費者物価指数(CPI)で2%の政策目標には届かず、財政についてはプライマリー・バランスの均衡という目標も先送りされている。

このままでは次回の景気後退に直面した時に採り得る金融、財政面の政策手段が非常に限られることが心配の種だ。2012年12月から数えて景気回復が59カ月となり、戦後2番目の長さになるにもかかわらず、低インフレ、低い賃金伸び率、財政赤字が執拗(しつよう)に続く不均衡の根本原因は何なのか、改めて考えてみよう。

<90年代に起こった部門間資金収支の構造変化>

掲載図をご覧いただきたい。グラフは日本の主要部門(家計、非金融法人、金融機関、一般政府、海外、その他)の年間の資金過不足の推移を示したものだ(日銀資金循環表)。マイナスはその部門の資金収支が不足で資金を調達していること、プラスは資金余剰で貯蓄していることを示す。この各部門の資金収支の変化を見ると、1990年代に起こった日本経済の構造変化が良く分かる。

まず緑色で示した非金融法人部門(以下「一般企業部門」)が1990年代後半に資金調達超過から貯蓄超過(債務返済)に転じ、その後ずっと貯蓄超過で推移している点に注目していただきたい。ほぼ時を同じくして、赤色で示した一般政府部門は資金調達超過(財政赤字)に転じ、やはりそれが恒常化している。黄色で示した家計部門は1990年代までの大幅な貯蓄超過からは縮小したが、2000年代以降も貯蓄超過で推移している。水色の海外(日本以外)部門は一貫して資金調達超過であり、これは日本の経常収支黒字に対応している。

さらに、各部門の資金過不足の対GDP比率を計算して、名目GDP成長率との関係性を見ると、以下の通りいずれも有意(関係性が偶然ではない)で興味深い特徴が見られる。

まず一般企業部門の資金過不足は名目GDP成長率と負の相関で、資金調達超過(マイナス)方向に振れるとGDPは上昇する(期間1980―2016年、決定係数0.557、相関係数マイナス0.746、以下同様)。これは景気回復期には企業が債務(資金調達)を増やし、設備投資を増加させるのでGDP成長率も押し上げられ、景気後退期には逆の動きになるからだ。

これとは反対に、家計部門の資金過不足にはGDP成長率と正の相関が見られる(決定係数0.371、相関係数0.609)。家計の動きは総じて景気動向に受動的であり、景気回復期に所得が増えると貯蓄額も増え、景気後退期には逆になるからだ。

一般政府部門の資金過不足は、やはりGDP成長率と正の相関だ(決定係数0.571、相関係数0.755)。景気回復期には税収入の増加で政府の財政赤字が縮小する一方、景気後退期には税収減と景気対策支出が増え、財政赤字が拡大する結果である。

以上は循環的な変化の関係性であるが、ここで注目していただきたいのは、既述の通り1990年代を境に一般企業部門と政府部門の資金過不足関係が逆転し、以降それが恒常化していることである。

これには主に2つの理由が考えられる。第1に日本の企業部門はバブル期の過剰投資で1990年代には過剰債務を抱え、その債務縮小が1990年代後半から起こった(債務返済=貯蓄超過)。第2に1990年代後半の金融危機と深刻な不況を境に企業経営者の日本経済に対する成長率見通しが低下し、設備投資を抑制するスタンスが強まった。その結果、企業部門全体の資金過不足が貯蓄超過基調となった。

そして、この企業部門の投資抑制スタンス自体が自己実現的に日本経済の低成長をもたらすという循環的な因果関係が働いてしまっていると考えられる。

<企業への内部留保課税は愚策だが>

経済を構成する全ての部門が貯蓄超過に走れば、需要減、生産減、設備投資減、所得減、需要減という縮小再生産のループに経済は陥ってしまう。ブーム期の過剰投資で企業部門が過剰債務を抱えてしまった局面では、その後しばらく企業が貯蓄超過になって債務を圧縮するのは必然的なことだ。その間、政府部門が資金調達超過(財政赤字)になれば、需要の縮小による景気の後退を最小限にとどめることができる。これが景気循環に対する財政政策の緩衝機能であろう。

ところが日本経済の問題は、過剰債務状態がとっくに解消しても、企業部門の貯蓄超過が継続していることだ。それが経済全体の成長率の低下、並びに財政赤字を必然化させていると言えるだろう。 

10月の衆議院選挙で希望の党が掲げた「内部留保税」は、熟慮なしに掲げられたものと思われ、エコノミストやその他識者から批判された。その後、希望の党の選挙での敗北もあって、この政策案は立ち消えになったようだ。私も内部留保課税は二重課税であると同時に企業という「金の卵を産むアヒル」を殺す愚策だと考えている。しかし、そうした案が出てくる背景として、企業部門の貯蓄過剰が経済の低成長、並びに財政赤字と裏腹の関係にあることは看過すべきではない。ではどうしたら良いのかについては、後述しよう。

<労働分配率低下がもたらす低成長、低インフレ>

さらに企業部門の貯蓄超過と密接につながった問題に労働分配率のすう勢的な低下がある。日本の労働分配率(=雇用者報酬/国民調整可処分所得、内閣府)は、景気変動に伴って上下動しながらも、1994年の66%から2015年の61.4%にすう勢的な低下トレンドをたどっている。逆に言うと、資産所得(利息、配当、賃料など)と企業所得(内部留保)のシェアが増えていることを意味する。

実はこれは日本のみならず、1990年代以降の欧米を含む先進国に共通する動きであり、国際通貨基金(IMF)は今年4月のレポート(Global Financial Stability Report, April 2017)で1章を丸ごとこの問題に当ててデータと検証を提示している。先進国の国民所得における労働分配率(ここでは雇用者報酬)が低下トレンドにある要因は、主に次の2つだと考えられている。

第1は生産を含む各種事業の新興国などへの海外移転(アウトソーシング)による新興国の労賃上昇、先進国の労賃抑制であり、第2は技術革新に伴う機械による労働の代替である。特に1990年代以降はIT、人工知能(AI)、ロボット化などにより、工場のブルーカラーにとどまらず、事務系ホワイトカラーの職業分野でも機械による労働の代替が進んでいる。

その結果、従来のホワイトカラーが担ってきた中間所得層の職が減少し、開発、設計、デザインなどのより高スキル・高所得分野と、建設、運送、介護など相対的に低所得の現場労働に2極化する傾向が見られる。もちろん前者の方が少数なので、所得格差が広がると同時に平均賃金は下がりやすいと考えられる。

こうした結果、賃金伸び率が労働生産性伸び率を下回る傾向が続いており、国民所得に占める労働分配率が長期低下傾向をたどっているのだ。そして賃金伸び率の過度な抑制が、家計消費の低い伸び率、低成長、低インフレとリンクしていると考えることができる。

実際、米国でも失業率は4.1%(10月)とITブームのピークだった2000年以来の低さにもかかわらず、賃金伸び率が2008年の金融危機以前の水準に戻らず、食品とエネルギーを除くコアCPIも米連邦準備理事会(FRB)が長期的なめどとしている2%に届かない1%台にとどまっている。インフレ率が約1%ポイントほど日本より相対的に高いものの、起こっている現象は類似している。ただ、2000年代の米国では2008年の金融危機まで、住宅ブームと価格の高騰による資産効果で家計所得以上に消費が増え、労働分配率の低下という問題が顕在化しなかっただけなのだ。

長期にわたる景気の回復で企業利益は史上空前を更新し、日本の株価も1996年以来の高値圏にあるが、これも労働分配率の低下と裏腹の資本分配率の上昇をベースに起こっていることだ。アンチ・リフレ政策の論者の中には、株価の上昇は日銀による過度な量的金融緩和と株式購入による人為的なバブルだと主張したい方々がいるようだが、それは的を外している。日経平均の株価収益率(加重平均ベース)は15倍前後で安定しており、今の日本株に割高感はない。むしろ問題視すべきは、株高の背後にある労働分配率のすう勢的な低下(資本分配率の上昇)だろう。

<不均衡是正は可能か>

では、どうしたら良いのか。問題は2つある。1つは家計部門での所得格差の拡大にどう対応するか、もう1つは企業部門から家計部門への所得移転をどう誘導するかである。

所得格差拡大への対応としては、歴史的を振り返ると資本主義は社会保障制度、累進税率制度など社会的な安定と所得再分配の仕組みを発達させてきた。それによって19世紀にマルクスが指摘したような「労働者階級の窮乏化の法則」を回避して、経済的な繁栄を実現してきたのだ。

今日のAIやロボット化の技術的な発展は、さらに進化した所得再分配の仕組みを必要とする段階に達しているのだろう。実験や議論が一部で起こっているベーシックインカムがその期待を担うのかもしれない。

第2の企業部門の貯蓄超過を減らすように誘導するのは、もっと難問だ。そのルートは設備投資の増加ばかりではない。余剰資金が株式の配当か労賃の増加のルートで家計に流れれば、消費を増やし、日本経済全体の資金収支のバランスの調整は進む。ところが配当は増える傾向にあるが、余剰資金を相殺するには到底及ばない。労賃の引き上げについては安倍政権が財界首脳に催促するものの、遅々とした伸び率にとどまっている。

企業経営者層もマクロ経済の事実として、賃金を上げなければ消費が増えず、売り上げも増えないことは分かっているのだろうが、自分が先行して上げれば競争上不利になるので踏み切れないという一種の「囚人のジレンマ」に陥っているのだろう。

<オランダの「ワッセナー合意」にヒント>

最低賃金の引き上げは1つの手段ではあるが、中間所得層の賃金引き上げ効果はゼロか、あるいは極めて限定的だろう。直近の報道によると、獲得したキャッシュフローを賃上げや設備投資に十分振り向けていない企業に対して、税制上の優遇を縮小、あるいは取り消し、一方で賃上げや設備投資を増やした企業の税負担を一段と軽くする措置の拡充を政府は検討しているという。それで十分な効果が出るか分からないが、やむを得ない誘導策だろう。

しかし、もっと抜本的に考えると、労賃アップと労働生産性向上に関する労働、経営、政府の三者による包括的な合意を形成することが求められているのだろう。1つの参考として1982年にオランダで行われた「ワッセナー合意」として知られる有名なケースがある。

当時は現在と状況が真逆で、オランダを含む欧米諸国は高インフレ、高失業率、賃金上昇圧力の抑制が愁眉の課題だった。そこでオランダの経営者団体、労働組合、政府の三者は、賃金上昇を抑制することで失業率の低下とインフレ鎮静化を目指す包括的な合意を締結した。その結果、賃金と物価のスパイラルな上昇は止まり、失業率の低下と経済成長を達成することができたという。

今日の日本に求められているのは、賃金アップと消費の活性化を目的にした「逆ワッセナー合意」ではなかろうか。

*竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職。経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)

コラム:株高の背後で不均衡拡大、逆ワッセナー合意の出番=竹中正治氏

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