「小さな政府」や規制緩和、市場の自由化は貨幣賃金の不平等を傾向的に推進する。結果、貨幣賃金は不安定化する。 このことは社会経済の不安定化をもたらす。なぜなら貨幣賃金こそが労働者化社会にとってなにより重要だからである。 従って実質賃金より貨幣賃金の安定こそが社会の安定に必要である。

自民党が進めてきた「新自由主義的経済政策」こそが「失われた25年」の本質であり、グローバリズムがさらに金融市場と生産市場との乖離を拡大させ、国民は益々貨幣賃金の安定を得られなくなっている。為替はゼロサムであるが、国民にとっ て不利益な悪い通貨下落が生じ実質賃金を悪化させている。

「官から民へ」の構造改革は、確かに一部の大企業に資産を積み上げたが、それが国内生産に寄与することはなかった。 なぜなら、ナショナルエコノミーが偏った結果、市場が痩せてしまっているからである。簡単にいうと本当に需要がある場所にお金がない。中には明日さえも分からない国民が多数いる。

電機や日用品などのコモディテイ化した商品の生産は近隣国などの海外に移転されたが、それは必然のことだが、生産移転先の自国内生産に転化され、その元生産企業は徐々に市場で打ち負かされる。それは、帰結として、ナショナルエコノミーが破壊される、つまり、自国の貨幣賃金が破壊されることになる。

国の経済財政政策において財政政策ばかり喧伝されるが、国家の未来計画となる「生産計画」がない。いったい何で国家が 食っていくのだ。戦争だ防衛だと喧しいが元手はどこにあるのか。生活物資やエネルギーはどんどん値上がりしているのに 貨幣賃金は低下の一途でありビッグマック指数は途上国並みである。

簡単に言うと「日本人は貧しくなっている」。特に消費需要が高い50歳代以下に顕著である。このナショナルエコノミー の貧しさを解決しなければ、日本は「失われた25年」が「30年」になるだけであり、やがて社会保障も傾いていく偏った社会を迎えることになる。

世界がグローバル化すればするほどに、ナショナルエコノミーを重視しなければならない。グローバルプレイヤーは巨額の富を生産しているが、必ずしも国家であるナショナルエコノミーに依存しない。より多くの社会保障に財源がいるのにだ。世界の超大国である米国でさえ本質問題を抱えている。

安倍首相はアベノミクスでトリクルダウンを提唱したが、経済は格差を広げ、国は財政赤字を積み上げて終わった。消費税の増収を胸を張ってもらっては困る。それはなけなしの懐から国民が負担しているものだ。若者も雇用に苦しみ、高齢者は年金が減少しているではないか。

戦後、日本は焼け野原だった。しかしそこからは官民一体で5年で復興し、それ以降、経済発展を遂げた。つまり官民一体であった。それを面白く思わないハゲタカが「構造改革」を言いだし、とりわけ政治勢力が弱かった政治家がそれを推し進めた結果こそが今の日本の結末である。官僚も信用があった。

語られたスローガンは「官から民へ」であった。「改革」とか「身を切る」が流行った。しかしナショナルエコノミーにおいては「官」は同時に「民」である。「民」が痩せれば「官」も痩せる。即ち、日本はこのグルーバルエコノミーに対処するため、ナショナルエコノミーの強化が必要なのである。

それは例えば、資源であったり、エネルギーであったり、食糧であったり、特定の分野ではより専門的かつ財源の長期的担保を有する「国家」がやらなければならない分野がある。NTTは上手く行ったが今も実質国営である。彼らは債券で自前でやったというが、国家の信用あってのことである。

ケインズは、このナショナルエコノミーの重要性を貨幣賃金と併せて論じ、グローバルエコノミーに警鐘を鳴らしている。そしてそのとおりになっている。労働者市場が社会を形成している以上、貨幣賃金こそが唯一の根拠なのである。

グルーバルエコノミーは世界の生産を押し上げているがそこは戦争や国家の競争が絶えない不安定な力が支配する市場である。従って労働者社会が社会を構成している以上、国家は「貨幣賃金」の「生産」を企図しなければならない。即ちナショナルエコノミーあってのグルーバルエコノミーということなのである。

豊かなナショナルエコノミーの国

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